神の計画を成就するには

聖書箇所: サムエル下6章

神の計画を成就するためには、その課程に於いて、人が決して失敗しないという訳ではありません。
聖書に於いてはそのような人の失敗について、むしろ多くの箇所で語られています。
ダビデも、神の箱をエルサレムに運び入れる計画において、大きな失敗を経験しています。
神の箱をエルサレムに運び入れる計画は、ダビデにとっては、神を愛すればこそ思い浮かんだ計画だったと言えるでしょう。
しかし、牛車に乗せた神の箱は途中で牛がつまずいたがために揺らぎ、神の箱を手で押さえたウザは撃たれて死に、この計画は頓挫することになったのです。
そこでダビデは挫折したのです。
神を愛すればこそ、神に従ったはずの歩み。失敗という結果が大きな挫折を生む。ダビデは神に怒りすらしています。
しかし、この失敗にはちゃんと人側の原因がある。
神の箱はレビ人の肩で担われなければならないことは、すでに律法の中に示されているのです。
それを人の過去の経験や知識から、人の方法で行ってしまった。牛車に乗せてしまった。
神はこの中止になった計画を、神の箱が置いておかれたオベデエドムの家を祝福するという形で、ダビデの心を立て直して再開させ、成就させるのです。
ここには深い神の愛と、その愛により信仰を取り戻すダビデの姿を見ることができます。
やがて、この計画の成就は、エルサレムに神の家を建てるという大きな計画にまで発展します。
しかし、ここでダビデは神の家を直接建てることを許されず、その子ソロモンに約束がなされるのです。
多くの人の血を流してきたダビデには、神の家を建てることができなかった。
でも、今度はダビデは神の深い思いを汲み取り、それに従います。
その代わり、彼はその備えのために生涯の全てを注いだと言っても過言ではないでしょう。
だからこそ、神の家を建てるという壮大な計画はソロモンの時代に成就したのです。
このことを見ていく時、神の計画を成就するためには、信仰という大きな要素が必要であるという事がわかります。
信仰がなければ、神を喜ばすことはできません。
見えない約束を見るように歩むことも、またその約束を長い年月待ち望むこともできません。
神の方法に従い歩む続けるため、神の深い思いを知り、それに従うということもできません。
そして、この計画が神の永遠の計画につながり、生涯に渡る歩みであることもわからないでしょう。
しかし、神の私達に任せられる計画は、実は永遠に神の計画の一端であり、私達はその壮大な計画を、永遠を思い、天の御国を思う信仰の内に悟ることができるのです。
それこそが重要なこと。
この永遠の内、天の御国の内に居られる神の御手の内に、私達の祈りが受け入れられた確信こそが、全ての見ていないことを実体化させ成就に至らせる、それが信仰です。
そしてその約束を握り続けて、生涯に渡って待ち望み続けるからこそ成就する、それこそが信仰なのです。
そして、この信仰こそが、神に従う神の民なのか、神に逆らう民であるのかを篩い分ける大きな要素であるからこそ、神の計画を担うための重要な要素となるのです。

今私達に語られている大きな神の計画は、私達の失敗などでとどまるものではありません。
神はご自身の愛と誠実をもって、ご自身の計画を私達の内に成就されます。
今そのために、主が私達に語りかけられる溢れる愛に耳を傾け、この神の計画を成就するために必要な天来の信仰が私達に与えられるように、共に祈ろうではありませんか。


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