幼な子のように

2018年01月28日
聖書箇所: ルカ18:15-17
「神の国はこのような者の国である」と主は語り、神の国は幼な子のような信仰を持つ者の国、純粋で主のみに頼る他ないほどに小さい者が招かれ入れられる国であることを示されました。
私達は大人になることを成長することと考えています。
しかし、その中で手に入れていくもの、できるようになっていくこと、得ていくものの代わりに失っていく多くのものがあることに気づかないでいます。
霊的な視点、神の眼差しの中私達を見るのであれば、どうでしょうか。
私達には全く見えない視点、むしろ(肉的な視点において)見えるものに囲まれる中で失うもの、信仰によってしか見えないものを求めその道を歩むこと。信仰において成熟することを、神は永遠の愛の関係に於いて求めておられる。
私達の信仰の歩みを見つ直す主の視点について、今語られる神の御言葉を仰ぎたいと思います。


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聖書箇所: ゼカリヤ14:16-21
私達クリスチャンは、その視線を向かうべき先、主が再び来られる日にしっかりと見据える必要があります。
聖書は旧約の時代から主の計画の行き着く先について幾度となくあらゆる形であらゆる視点から語り掛け、それがいつの時代においても変わることなき、神の永遠の計画の方へと、神の民は向かい進んで生きて行くべきことを語っています。
そしてその永遠の行く先を、私達に注がれている変わることなき神の愛と、その愛の中で永遠の愛へと神への愛を成熟させ、やがてその神との永遠の愛にある交わりの中へとまさに今から生きていくことの重要性を聖書は語っているのです。
もしも私達が今この神との永遠の愛にある交わりに心捕らえられたら、私達は死をも恐れずいや死をも越えて、神の計画に生きる者となることでしょう。
信仰の深みへと歩を進めるよう招かれる神の御言葉に、愛をもって耳を傾けていこうではありませんか。


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聖書箇所: 2ペテロ3:12
神の計画はこれまで幾度も私達に語られて来ました。神は今再びそれを語り,その神の計画の約束は私達において一つも変わることはないと強く語られます。
まさしく主のリバイバルの時を指して。再臨の時と重ね語られるリバイバルについて、だからこそ主の再臨の時に向かい私達クリスチャンが全地に担うべき重要な役割を、今私達が担っていることを主は語られます。
畏れ多くも主の私達に語られる約束の言葉一つ一つに、心して耳を傾けていきたいと思います。


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主を愛せよ

2018年01月07日
聖書箇所: 申命記6:4,5
神の御言葉を心から愛し従う生活を送ること、それは神ご自身を愛し従う生活そのものに他なりません。
そのように生きる者の幸いを聖書の中から見ながら、さらに神がその中にこそ現そうとされる神ご自身とその中に生きる永遠の安息と永遠の神との交わりについて、主が今語られる御言葉に耳を傾けていきたいと思います。


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はじめに神

2018年01月01日
聖書箇所: 創世記1:1

私達は神の御業が現れた時、その人知を超えた神の御業の前に喜び、その全貌がどれほど壮大で深い神の御思いの中にあることを窺い知ることができません。
あまりに小さすぎる人は、その後に現れる現実に打ちのめされ、全てが終わってしまったかのように、思う時もあるかも知れません。
神の業を打ち消さんとするサタンの手の前に、絶望に打ちのめされるかも知れません。
しかし、主の壮大な御業は何一つ揺るぐことはないのです。
そう、始めの神の御業はその後に続く壮大な神のご計画のプロローグに過ぎないのです。
神のこの壮大な計画を知らぬ人間は、人自らの罪にまみれた計画の内に、神の計画を台無しにしてしまいます。
しかし、主はその全てを除いても、ご自身の最初から立てられたご自身の計画を必ず完成される神なのです。
神はそうまでしても、神の民一人一人を通して、ご自身のご計画を成そうと願われているのです。
私達はこのどこまでも憐れみ深い神のご計画がなるために、真に主への従順を知る時を迎えているのかも知れません。
主は今ご自身の始めから持っておられた救いのご計画をこの国に現そうとしておられます。
だからこそ今私達は、その始めから主に従おうではありませんか。
私達の全ての「はじめに神」を置こうではありませんか。


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