聖書箇所: 1コリント15:12-58

主はこれまで私達に、幾度も明確にご自身の約束を語り続けてくださいました。
それは滅び行くこの地を、私達を通して救ってくださるという大きな大きな約束。
そして、聖書に登場する信仰の勇士達も、神からの約束を握り、多くの神の計画を彼らを通して成就して行きました。
そこには神の約束に従った者だけに与えられる特別な祝福と恵みが満ち、驚くべき神の御業に富んだ生き方が存在しています。
それは自らの生活に目を向け、朽ちる食べ物のために生きるのでは見ることのかなわない、朽ちないものを求め、主の御心のみに目を向け、永遠に至るまでの道のりを今歩んで行く、信仰によってのみ歩むことのゆるされる永遠の祝福に満ちた歩みなのです。
そして、今主はその約束の時は満ちた。私に従って来なさいと、私達にやさしく御手を伸べて私達を招き、この永遠への福音を全地に宣べ伝えるよう召しておられるのです。
まさに神からの特別なリバイバルに向けての召し。
主は改めて今私達に語って下さっています。
今回はこの主の特別な語り掛けに、余りある恵みに心から感謝しつつ、耳を傾けて参りたいと思います。

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聖書箇所: ヨハネ17:20-26

主は私達を愛し、愛し尽くして、実にご自分の命さえ与えてくださいました。
それほどに愛して下さる方に私達はどうしてその愛に答えないでいられるでしょうか。
しかし、その愛に答えるには私達の愛はあまりにも小さく、全能の神の前では私達は何をしようとも、小さく弱く、私達にできることなど何もないかのように思えます。
あるいは何をささげようとも、すべては神から与えられたものであり、私達には神をいかにすれば愛することができるのかと、主を愛することとは如何なることかという、愛するが故の課題にぶつかります。
まさに聖書中に生きていた多くの人々も、その小さな人生の中で、そのような問題に生涯をかけて答えを求め、全身全霊で神を愛していったのではないでしょうか。
主の愛に命をかけて答える。その人生の全てを献げて神を愛するということ。それはどのようなことなのか。
聖書の先人達の歩み、そして聖書が語られる神を喜ばせる愛について、今回は聖書の中から主に教えていただきたいと思います。

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主は語られる

2017年07月17日
聖書箇所: エペソ1:17-19

今この国に必要なことは神を知り、また神の御言葉を知ることではないか。まさに神に逆らい滅びという結論に進み行かんとする今の日本を見ると、そのことを改めて考えさせられています。
まさにこの神の知恵(御言葉)こそ、全世界を治め得る、また如何なる宝より価値ある、全ての始めに求めるべきものであることを、神を信じる私達自身が今はっきりと認識し、そこに揺るがない価値観と信仰を持って歩む必要があります。
しかし、それは人の知恵、人の力では決して及ぶことはできません。これは神の知恵なのです。
そして、この神の知恵は神の霊によって、啓示されて始めて人に窺い知ることがゆるされる、神からの一方的な恵みでしかないことを、パウロはガラテヤ人への手紙を始めとし、多くの手紙の中で語っています。
神の言葉であられる神は、ご自身の知恵と啓示の霊によって始めて、私達にご自身を現され、私達はそこで始めて神を知るのです。

今回は神の御言葉の啓示について、主の語りかけに耳を傾けて参りましょう。

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聖書箇所: ルカ 19:11-27

主から、ご自身の命をもって与えられた新しい命をいかに主のために使うのか(主に献げるのか)。
私達は主に救われた後の命を、あまりに自らのために生きることに用いていないでしょうか。またそのことをあまりにごく当たり前こととしてはいないでしょうか。
しかし、主はそのような私達にはっきりと「自分のために宝を積んで神に対して富まない者【ルカ12:21】」と語り、「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。【ルカ14:27】」と、弟子とは全てを捨てて主に従った者であると明示されているのです。
そして、主は同時に「すべての国民を弟子とし【マタイ28:19】」とこの条件が全てのクリスチャンに対するものであると言われるのです。
主はこの弟子となった者に始めて、ご自身の御心の奥深くを現わされます。
まさしく主のために生きたダビデがそうであったように、多くの人が気づくこともなかった、しかし最も重要な主の御心を、その主に献げた愛の故に見つけることができる、行き着くことができる。
主はそうして実にご自身の計画を、ご自身を愛して止まない者達を通して成し遂げて来たのです。
そして、主はそのような者に「よい僕」と語り、「小さい事に忠実であった」とほめてくださり、報いを与えてくださるのです。
それはこの地上に於いてこの地を治め、やがて完成する天に於いても主と共に治める者となるという、驚くべき約束。
この地に於いて朽ちゆくものに心を奪われるのではなく、天に宝を積む者になる。その天の宝こそ、やがて嗣ぐべき天の都の材質であり、そのように私達自身が天の都とされることの備えを、この地で積んで行くことこそ、主に報いを受けるほどに喜ばれる者であると聖書は指し示しているのです。
あなたの目は天に向けられているでしょうか?あなたの心はどこに置かれているでしょうか?
永遠の報いを思って生きていきましょう

主の報いは私達の想像を遙かに超える壮大・壮麗なもので
す。
そのために私達もダビデのように主を深く愛そうではありませんか。
今回は主が望まれる信仰者としての生き方について、主の御言葉に耳を傾けて参りましょう。


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主のまなざし

2017年07月02日
聖書箇所:ルカ12:6,7、詩篇139:16(1-6,13-18)

主のまなざしは全被造物に憐れみ深く、愛溢れて向けられています。
この愛のまなざしの中で、全てのものは保たれ、生きているのです。
特に私達人には特別にそのまなざしが向けられ、まさに主は私達の全てを知り尽くされ、生きる全時間が神の御手の中にあり、私達への愛は、そのまなざしは永遠の始めから始まり、永遠に至るまで続くのです。
さらに、今主のまなざしは、主を信じている私達教会に及んでいます。それは選びの民イスラエルをしても味わうことのなかった神の恵みを、主をその内に宿す者として受け、受けるはずなき恵みを、神の国とともに受け継ぐ者とされました。
主のまなざしは如何なる時も私達から離れることはありません。
如何なる困難の中にある時も、それは終わりの日、罪が究極に満ち神に逆らう者達の迫害の中にあっても、神の裁きが地に満ちようとも、私達から離れることなく、主の御手はそこに変わることなき平安と共に伸べられます。
また、私達が仮に罪の中に、その絶望の中にある時であっても、主のまなざしは憐れみ深く、その罪を犯すはるか前から私達を見つめられ、私達がそこから立ち直る道のりをもみつめて、罪を犯す私達を忍耐と憐れみを持って見守られるのです。
まさに主の愛のまなざしは私達の全人生を、いや永遠に私達を包み、私達がこのまなざしを、愛をもって見つめ返すことを望んでおられるのです。
今私達はこの神のまなざしに真っ直ぐ答え、私達の目をしっかりと主のみに向けていきたいと思います。
主のこの愛の語りかけに、心から耳を傾けて参りましょう。


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