信仰の目は前へ上へと

聖書箇所: ピリピ3:13ー14

私達は信仰の目によって、見るべきものを見て、そこに向かって歩んでいくことができます。
多くの信仰者が肉の目(人の目)によって、世と地上を見て歩みます。そして人に伺い知ることもできない未来に、思い思いに予定や目標を立て、歩むことに疑問を持ちません。
しかし聖書を通して主は語ります。やがて主の来られる日に、自らの言動に応じて主から報いを受けなければならないということを。
ですからこの厳粛な事実に目を向けて歩むということは神の基準であり、私達はそれを知って歩むべきなのです。
信仰の目は、主が再び来られる日を見せ、主の目に私達が如何に映っているかを見させるのです。
また、私達の人(肉)の目では神の計画を見ることはできません。
本来は主から恵みを受けることすら与えられていなかった異邦人である私達が、神の深遠な奥義の内に、約束を与えられている選びの民イスラエルと共に、神の国を継ぐことをゆるされるなどとは、最初使徒達でさえ、人の目には知ることができませんでした。
神の計画は主の目、信仰の目によってのみ知ることがゆるされる。信仰の目によってのみ、私達は神に喜ばれる御心の内を歩むことができるのです。
次に信仰の目は、天の幕屋、聖所を見させ、私達をその内に導きます。
主イエスが自らの肉体を裂いて、至聖所と聖所の隔ての幕を裂き、その贖い血に全ききよめをもって至聖所に私達を招き入れてくださいます。
この天の幕屋と聖所での永遠の礼拝を私達は、日々の生活の中に見出す永遠の礼拝の中で、またこの共に集まりささげる礼拝の中で、味わい知ることができます。
このことを抜きにして、もしもクリスチャンがこの地上を歩むのであれば、つまりは、天の永遠の都を思い見ることをしないでこの地を歩むのであれば、それはどこに希望を持ってよいのかわからない味気なく、果てしない苦しみの中、人生を歩むこととなるでしょう。
しかし主はこんなにも身近に、御国を継ぐ証印たる聖霊を通して、天の御国の前味わいを私達に与えてくださいました。
信仰者はこの信仰の目をもってこそ、御国を見て、この地上を天の御国に生きるように、歩むことができるのです。
このように私達の歩みは前(未来)へ上(天の御国)へと向かう歩みです。
そして、それを見せるのはまさしくその中心に居られる主イエスキリストを信じる(に信頼する)信仰をもって開かれる霊の目のみであって、これによってのみ私達は進むべき信仰者の道を歩むことがゆるされるのです。
信仰の歩みは決して窮屈なものではありません。むしろ、この主の目は私達の心を広くし、真の自由と希望を得させて、人生を神の喜びを持って歩むことを教えてくれるのです。
さぁ、だからこの目を開いてくださるよう、主に目を向け祈ろうではありませんか。


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