聖書箇所: 黙示録3:1-6
主がこの地をご自身の元に取り戻されるのに、多くの者の手を使う必要はありません。
主に全てをささげる、主の御心に心から従うただ一人が居れば、主はその御業を成します。
人は主の御心を退け、自らの手で神を造り、自らの手で祭壇を造り、祭りさえ自ら造り出して、主を怒らせ続けてきました。
それは主の民であったとしても、いや主の民だからこそ、主をどれほどに悲しませ続けてきたことでしょう。
私達の理解の中に、常識の中に、知識の中に、ちっぽけな人間の範囲の中に主を閉じこめ、自らの思いを叶えるための都合の良い神を造り、都合の良い礼拝をささげる姿を見て、私達は歴史の誤りを、そして自らの信仰姿勢を見つめ直す必要があるでしょう。
同時にその中に現された神の御心と御業を、思いみるべきです。
かつて一人の小さな人を通して、宗教改革という、神の御業が成されました。
それは神の真理が真の自由を得させ、偽りの中に閉じこめられた人々を解放した瞬間でした。
世界中を敵にしても神の真理に立ち、神にあって霊の戦いに勝利を得た、歴史的事実に目を向けながら、今回は真のクリスチャンとしての生き方について、主の御言葉に耳を傾け、共に考えていきたいと思います。
メッセージダウンロード
主がこの地をご自身の元に取り戻されるのに、多くの者の手を使う必要はありません。
主に全てをささげる、主の御心に心から従うただ一人が居れば、主はその御業を成します。
人は主の御心を退け、自らの手で神を造り、自らの手で祭壇を造り、祭りさえ自ら造り出して、主を怒らせ続けてきました。
それは主の民であったとしても、いや主の民だからこそ、主をどれほどに悲しませ続けてきたことでしょう。
私達の理解の中に、常識の中に、知識の中に、ちっぽけな人間の範囲の中に主を閉じこめ、自らの思いを叶えるための都合の良い神を造り、都合の良い礼拝をささげる姿を見て、私達は歴史の誤りを、そして自らの信仰姿勢を見つめ直す必要があるでしょう。
同時にその中に現された神の御心と御業を、思いみるべきです。
かつて一人の小さな人を通して、宗教改革という、神の御業が成されました。
それは神の真理が真の自由を得させ、偽りの中に閉じこめられた人々を解放した瞬間でした。
世界中を敵にしても神の真理に立ち、神にあって霊の戦いに勝利を得た、歴史的事実に目を向けながら、今回は真のクリスチャンとしての生き方について、主の御言葉に耳を傾け、共に考えていきたいと思います。
メッセージダウンロード
| 礼拝メッセージ
前の記事
2017年10月22日
次の記事
2017年11月05日
関連記事
NO IMAGE
NO IMAGE
NO IMAGE
NO IMAGE
コメント