永遠の神の言葉

聖書箇所: 列王記下9:21-26

主イエスはご自身が神のロゴス(言葉)なる方です。この方が私達の中に幕屋を張られたことはまさに人には想像し得ない奇跡です。
だからこそ、主はいにしえからの預言の言葉基づきこの地に来られました。
主イエスの誕生の系図の中には、同時に人々の重ねた罪の姿も刻まれていますが、だからこそ神の御言葉は人の何ものにも揺るがされることなく変わることなく、ご自身の計画を成就するものであることを力強く証しします。
だからこそ、むしろ私達は偽りに自らの心を渡してはなりません。
私達の偽りの言葉の全ては神が知られており、やがて主の御前に私達はその言葉の申し開きをしなければならないからです。
その偽りの言葉が私達の口から上るその以前にすでに主は私達の心の奥底までも測り知り、悪しき思いを退け、神の御言葉を信ずる主への麗しい思いは永遠の思いとして記憶し喜ばれるのです。
私達はここに立って、一度(ひとたび)私達に語られた主からの召しの言葉に、つまりは主のご計画の一端を担うべく語りかけられた言葉と、そのために選びを受けた光栄を心に刻んで、主に従い歩み、永遠の御国へ続く道のりを大切に歩み行く必要があるのです。
主の言葉はあまりにも深淵で、そのご計画は人の想像をはるかに超えて壮大です。
1年や2年で成就することばかりではなく、何世代も超えて主の御言葉は成就し、それは完全なる形で成就します。
全てのことは一つの主の御言葉によって貫かれ何一つ矛盾することはありません。
つまりは、主が一度言葉を発せられるとそれは永遠にある神の御国において完成したものであり、その時天においては完全で不変な形でそれは存在しているのです。永遠の内に定められた神の言葉は決して虚しく返ることなく、必ずこの地上に成就するのです。
しかしこのことに人は一切関与できないのではありません。
恐るべきことに、祈りにおいて私達は、永遠の神の御手を動かすことをゆるされているのです。
そして、主はこのように私達に永遠の神のご計画に参画することがゆるされているのです。
召された神の言葉を私達がそのようなものとして、しっかりと握り主に従い歩み続けるなら、それは必ず成るのです。
いや、主は永遠の神の御国の中で「事は成就した(黙示録21:6)」と完成を宣言され、その契約の血は十字架の上で「完了した(ヨハネ19:30)」と宣言し、全ての神の約束は永遠の内に成就しているのです。
私達はこの神の御言葉と同等の言葉を、神の形にかたどられて造られた者として、授けられているのです。
ですから、私達は自分の考え、世の常識、サタンの誘惑などの、全ての偽りの言葉を退け、神の御言葉を握り、神の御言葉に生きる者となろうではありませんか。
今回は永遠に変わることなき神の言葉について、今一度深く主に語りかけていただきたいと思います。

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