我が内に主は来られる

聖書箇所: 使徒行伝17:1-15

パウロの伝道は、決して人の知恵や知識から来る表層的な言葉によるものではありませんでした。
そこにはまさに生ける神の現れとして福音が語られ、この神の現れを阻止せんと、サタンも迫害をもって迫ってくる。神とサタンの支配と権威をめぐる壮絶な戦いがそこに繰り広げられました。
やがてそれは、神の圧倒的勝利という、爆発的な神の霊の勢いを、敵ですら認めざるを得ないという、人知を超えた形で現されたのです。
パウロのこの戦いは、福音を語られ、受け入れ、新しく生まれた教会にも及びました。
しかしこの戦いが激しければ激しいほど、彼らは意気消沈するのではなく、むしろ生きる神の現れを望み、祈り叫び続け、彼らはその度に、やがて来るべき神の来臨を、自分達の中に現れる神の勝利という中で、見続けたのです。
そこには、神の確かな臨在と、神の国の内にある神との永遠の交わり、その祈りと、賛美と、礼拝が現され、神を知らぬ者達でさえ、その中に浸され出たくないと願うほどに、そこに神は生きて居られたのです。
今私達はこの生きた神が内に住まう永遠の神殿とされています。
そして、この神殿は滅ぶべき罪の深まるこの地に建てられているのです。
私達、神殿の中心には、神の心と目そのものが向けられ、主イエスご自身がその中でとりなしておられるのです。滅ぶべきこの国が、この地が救われることを。
そして、この私達こそ、この来るべき方主イエスを、この地に来てくださいと、この地を救ってくださいと、呼ぶことのゆるされた特権を持つ者なのです。
あなたが呼べば、主はこの地に来臨され続けます。そしてそのことが、主の再臨を、つまりは神の永遠のご計画を一日も早め進める祈りとなるのです。
生きた神が来たる真の教会の姿について、主の熱望を私達も主から聞こうではありませんか。

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