主に満たされ続ける

聖書箇所: エペソ1章

私達は神の御言葉にあって、その真理の土台にあって、自らの永遠の立ち位置を知るべきです。私達はどこに居るべきなのか。そしてどこに向かうべきなのか。
神は私達の永遠の立ち位置を、その永遠の始めから、私達が神の御側に居たと語られます。そして永遠に至るまで私達はそこに居るのだと。
それはすべて神の贖いによるもの、永遠の主の愛によりあずかることができた大いなる恵み。そしてその救われた者がすでに居る場所、まさに神の御側近く、それこそが永遠の神の御国なのです。
そして私達が生まれ、生き、死に至るまでの全ての道のりが、この永遠の神の御国の礼拝において、神をほめたたえる者となるためであると、聖書ははっきりその目的を語っています。
今ここにある礼拝こそは永遠の礼拝、私達はこの地上で一瞬の流れゆく時間の中で永遠の中に入り、神の御座の側、まさに神の御顔を仰ぐ位置において、主をほめたたえ続けるのです。
それは日曜日に集まり共にささげる礼拝にのみとどまるものではなく、そこから溢れて、神を愛し神に近づくことを願い、またこの神への最上のささげものを人生の全ての事柄において、その一瞬一瞬、全てのことを主への最上のささげものとしてささげて生きる。
その毎日が、その人生全てが主への礼拝となる。
もしもそのように生きることを願うのであれば、私達の生き方は今この時からでも大きな変貌を遂げるでしょう。神の栄光の内に、満ちみちた人生を歩める。
神は実にそのために私達の内に、神の御国を継ぐことの保証としての聖霊を与えてくださり、御国の前味をこの地でも味わうことができるようにしてくださったのです。
聖書において、神の幕屋が、また神の神殿が建て上がった時、神の栄光がその内に満ちたように、神はご自身の永遠の宮を完成する、新しい天と新しい地が完成し、その中に私達自身が完成された神の宮として建て上げられた時、この神の栄光はこの宮の中につまり私達の内に満ち溢れます。
主はこの永遠の目的をもって、主の十字架の贖いにより私達を全く新しい神の宮とされました。だから今、まさしく神は私達の内に満ち溢れようと願っておられるのです。
使徒行伝の2章に語られる教会の誕生したその出来事こそ、この地における神の宮である私達教会の内に、主ご自身が満ち溢れた姿。
そして主は、今私達の内に満ち溢れることを切望して居られるのです。
神ご自身が私達の内に満ち溢れる時、私達はこの地上において、全てのことに満ち溢れます。この主の豊かさの内に生き、それゆえに神をほめたたえ続ける人生こそ、クリスチャンの本当の歩みなのです。
だから、主は聖霊に満たされ続けなさいと私達をやさしく招きます。
聖霊に満たされ続けるクリスチャン生活について、今回は主の永遠の目的を見つめながら、この御言葉に耳を傾けていきたいと思います。

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