ただ主の望むこと

【申命記10:12-16】
10:12 イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、
10:13 また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。
10:14 見よ、天と、もろもろの天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。
10:15 そうであるのに、主はただあなたの先祖たちを喜び愛し、その後の子孫であるあなたがたを万民のうちから選ばれた。今日見るとおりである。
10:16 それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。

私達がなぜ主に選ばれ、救われたのか、その理由は全くわかりません。
おそらく、その理由は永遠にわからないでしょう。
私達に何らかの理由があって、神が救う価値があるとして救われた。
そのようなものは、私には何も見当たりません。
私には主を喜ばせるものは何もなく、むしろ生来の性質は、常に主に逆らい、甚だしく悪しき罪に汚れた罪人。主から離れ、自分の事のみに没頭して生きてきました。
神に愛されることなど知りもしませんでしたから、神を愛することなど到底考えもしませんでした。
私の迎えるこの一日がすべて自分の力で支えられていると信じ、そのすべてが神の恵みによって支えられていたことなど露も知りませんでした。

そんな私を主は愛してくださいました。
それは主からの一方的な愛でした。
主はそんな主も知らず逆らうだけの何の価値もない者を、何の得もないであろうに救ってくださったのです。
天地万物のすべては主のものです。
この方がすべてを造り、そのすべてを今も、また永遠に統べ治めておられます。
そんな壮大な想像すらつかない方が、その持ちゆるすべてのものを置いて、あたかも私が主のものでなければ、それらのものが何の意味もなく、何の価値もないかのように、私のために地に下られ、ご自身のすべてを私にくださいました。
その命までも。
神の御子である方の命という絶大なる価値ある犠牲(十字架)に、私など見合うものではありません。
なのに主は、「今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。(申命記10:12)」と言われるのです。
「ただこれだけ」です。
私が主を愛さなければ何の意味もないかのように、主は「あなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。(申命記10:12,13)」と言われるのです。
それも、私が「さいわいを得る」ために、なのです。
どうして、そんな主を愛さずにおれましょう。
ただ一方的にこれほど愛してくださった方に答えずにおられましょう。

【申命記10:16】
10:16 それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない、もはや強情であってはならない。

私のすべては、そしてこの命は主のものです。
私は永遠に主よ、あなたを愛します。



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