唇を心をきよめよ

聖書箇所: マタイ15:16-20

私達は案外と私達自身の日常的に交わされる会話やその心の奥底の本当の思い、「言葉」の中に潜む罪汚れについてそれほど意識をしていないかも知れません。
ある種無意識に、違う言い方ならば無自覚、無責任に言葉を放っている、心に野放しにしている。
しかし、主はこの言葉こそ「全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる【ヤコブ3:6】」ものであると、私達の想像以上にこの罪がはなはだしく危険なものであることを警告しています。
しかし私達はこの言葉によって救われました。
救いを得させる力のある福音の言葉を聞き、信じ、受け入れ、信仰の告白をもって、その心の言葉と口の言葉を全く一つに、救い主を信じて救われたのです。
神の御言葉である方、主イエスキリストは、その言葉によって私達をきよめ、「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるため【エペソ5:27】」に、私達を救ってくださったのです。
私達は主の十字架の上で語られた言葉によって、ゆるされ、きよめられ、救われたはずなのです。
だから私達の唇は主を賛美するためにあるのであって、人をのろうためにあるものではない、私達自身を汚すためのものではないのです。
だからこそ、主はこの主の御言葉の中にとどまり、神の愛にとどまり続けるよう語られます。
この御言葉にとどまるとは、古い戒めであり、新しい戒めでもある、神へのまた隣人への愛、互いにキリストが十字架にかかってくださったように愛し合うこと。
闇の業に加わらず、まことの光(命の言葉)の内に生きるようにと主は言われるのです。
聖霊を悲しませてはいけません。
悪魔に機会を与えてはいけません。
だから今、汚れた言葉を私達の唇から、そして心から一切捨て去りましょう。
御言葉の中にある、永遠の愛の交わりの中に、私達は生きていこうではありませんか。

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