今日のかて 神の愛に浸る時

【詩篇103:13-14】
父がその子供をあわれむように、 主はおのれを恐れる者をあわれまれる。
主はわれらの造られたさまを知り、 われらのちりであることを 覚えていられるからである。

神が私達をどのように思われているのか、これほどにわかりやすく語り掛けてくださっていることに感謝します。
父という思いに、すべての語り尽くせない神の思いが込められていると言えるでしょう。
我が子を思う深い思い。
その生まれる前から私の全てを知り、その全てを見守り愛し尽くされている愛。

【詩篇139:13-17】
あなたはわが内臓をつくり、 わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
わたしはあなたをほめたたえます。 あなたは恐るべく、くすしき方だからです。 あなたのみわざはくすしく、 あなたは最もよくわたしを知っておられます。
わたしが隠れた所で造られ、 地の深い所でつづり合されたとき、 わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
あなたの目は、 まだできあがらないわたしのからだを見られた。 わたしのためにつくられたわがよわいの日の まだ一日もなかったとき、 その日はことごとくあなたの書にしるされた。
神よ、あなたのもろもろのみ思いは、 なんとわたしに尊いことでしょう。 その全体はなんと広大なことでしょう。

親として子を生み出し、慈しみ育む者の思いがそこに表れています。
主の目は私達から片時も離れることなく、私達を見つめ愛されている(あわれまれている)のです。
我が子が生まれた時のことを忘れる親が居るでしょうか。
その喜びを、我が子の幸いを願う思いを、その愛を忘れる親があるでしょうか。
それが、神が私達に常に向けておられる思いです。
あなたにとって神はどのような存在でしょうか?
遠く離れて高いところから眺めているだけの存在でしょうか?
ただただ厳しい存在、あなたの罪を見張り裁こうとして見ているような存在でしょうか?
どこかあやふやで、昔話の中に登場するような、架空の存在に近い、でも存在だけは信じている、そんな存在でしょうか?
いずれにしても、神の存在を誤解することなく知ることが、私達の神との関係を健やかにする、また私達自身の存在を回復する道のりです。
でも、この父との関係を多くのクリスチャンが誤解しています。神の私達への思いを偽られているということが、信仰の歩みを困難なものにしていることがよくあるのです。
もちろん、親との関係また親の子への思いのうちに、父なる神の愛は表れますが、実際の親との関係が(人の罪故に)健全ではないことも今の複雑な世の中に於いてはありますから、そこに於いて神との関係を誤解してしまうこともあるでしょう。
どうにも父なる神の思いを理解できないこともあるかも知れません。
しかし聖書を通して、神はこれほどにあなたへの愛を温かく、やさしく、語り掛けておられるのです。
人の親は完全ではないかも知れない、しかし父なる神は完全な父。完全なる愛、永遠に変わることのない溢れる愛をもって、あなたを愛し続けている。だとすれば、人との愛で傷ついていたとしても、この愛が私達を覆い、私達を救うことができるのです。
全てを包み込む最も安心(平安)な愛。あなたもその愛の中に身をゆだねて、神への信仰(信頼)の歩みを、今日も進めていこうではありませんか。




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