再び約束の地に入る

聖書箇所: 申命記1:6-8

イスラエルの民が荒野で40年の時を経た時、主がもう一度変わることなき主のイスラエルへの最初の約束を語りかけ、新しい地に入りその地を主にあって勝ち取るため、ヨルダン川を渡った時のように、主は私達にもう一度私達への主の約束を語りかけ、この地を、この国を勝ち取ると、新しい地に足を踏み入れよと、今語りかけておられます。
この滅びるべき国を救おうと、そのためにこの地を勝ち取ろうと、この約束は変わることがないと力強く語られているのです。
この新しい地は信仰がなければ決して足を踏み入れることはできません。
かつて、カデシバルネアで、人の不信仰は、人の力では決して勝ち取ることのできそうのない、強敵や難攻不落の要塞がある地に後込みし、神の恵み約束を、災いのように罵り、のろい、退けました。
それがゆえに、その不信仰が取り除かれるまで、40年の月日を主は忍耐し待たれました。そしてここにようやく、アブラハムに与えられた変わることのない約束を成就するために、新しい地に足を踏み出せと語られたのです。
しかし、こうして主にあって勝ち取った地でさえ、やがてイスラエルは不信で満たし、神を退け、逆らって、地を偶像で満たし、姦淫と不信と偽りと、それ故暴虐と悪と罪で地を満たしたがために、この地から散らされ、アッシリヤに、バビロンに捕囚されていくこととなったのです。
だから、信仰がなければこの約束の地を不信仰で汚すから、信仰によらなければこの地に入れないのです。
主は私達にご自身を現し、主を恐れることを、また同時に、どれほど大いなる愛をもって私達を愛しているかを教え、私達に信仰を与えようと言われます。
深遠なる神の計画を知り、その計画に歩むために、人の知恵では決して知ることのない、神の知恵を、神の霊によって与えようと語りかけておられるのです。
だから信仰の父たるアブラハムが、深遠なる神の知恵を知るダビデがそう歩んだように、主と共に歩み、共に戦い、共に交わり、そのことによって、主を求め、主に叫び、主に近づき、主を知る道を歩めと私達を励まされるのです。
そして、この信仰をもって新しい地に入ろうと、もう一度約束が神の力によって成ることを、ここに宣言されているのです。
たとえ、私達の不誠実が一度この約束の成就に至らせなかったとしても、神はご自身の誠実をもって、この約束を必ず成すと、全能なる神が私達のこの国を救おうと言われているのです。
これは大いなる約束、最初から変わることのない私達への主の約束です。
さあ、だから愛する兄弟姉妹、もう一度立ち上がり、主と共に、この地を勝ち取りに行こうではありませんか。


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