聖霊と御言葉に満ちる

聖書箇所: イザヤ59:19-21

主は今私達に「あなたがたは、先祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を取りに行くのを、いつまで怠っているのですか【ヨシュア18:3】」と語られ、リバイバルを約束され与えられたこの地を、この国を、いつまで取りに行かないのかと迫っておられます。
まさにリバイバルは、神の御言葉と主の霊にとどまり、満ち溢れるところに現れます。
主イエスの母となったマリアは、神をその内に宿す者、またやがて来る救い主、この地を治める王を待ち望む者達の先駆けとなった人物です。
そのとても人間の知識や常識では理解できないような内容の言葉を、御使によって、神の言葉として語られた時、マリアは「お言葉どおりこの身に成りますように【ルカ1:38】」とその御言葉を受け取ったのです。
全てを越えて神の御言葉のみに真実を見出し、自らの中にあるもの(常識、知識、経験等)こそ偽りとして、そこにとどまり、アーメンと言える人は幸いです。
その人こそ神の約束の計画を受け取り、また自分を通してその計画が成就するのを見ることがゆるされるからです。
また、聖書は主が再び来られる日への備えについて、花婿を待つ十人のおとめの喩え【マタイ25:1-13】から語り、「目をさましていなさい【マタイ25:13】」という神の警告について、「油を用意して【マタイ25:4】」おくという観点から語られています。
『油』に喩えられる『聖霊』の備え、聖霊の満たしについて。
主は私達の予想外の日に来られると語って居られますが、だからこそ日常生活の中で、何より大切なものとして主への愛を備えていなければ、主の迎えの声を、世への欲求が、また自己を満たす思いが主を退けてしまいます。主の愛に満たされその愛に答え主を愛することこそが、本来私達に与えられている(クリスチャンの)至上の喜びです。
その愛を知って始めて、主は完全なる充満をもって私達の全てをご自身で満たされるのです。
この私達の内に永遠に住まい充満することを、至上の愛の形として永遠の神の国の内に成就しようと言う神の計画は今、神との愛の関係の中に、聖霊の満たしとして与えられています。
この聖霊の満たしこそ、やがて来られる主への備えであり、最初から私達に与えられている神の約束であって、クリスチャンとしてのこの地の歩みを貫く、大いなる導きであるのです。
リバイバルは神の御言葉と聖霊の満ち溢れる中に現れ、その満たしの中に私達は永遠の神の栄光と臨在をもって、神がまさにここに来ていると知るのです。
今回はこの神の御言葉と聖霊に満ちることの大切さについて、神の語りかけに心から共に耳を傾けていきたいと思います。


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