【出エジプト14:13,14】
モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。
主が私達のために用意している計画は、私達の思考では到底及ばないような驚くべきものばかりです。
それは私達のために主が用意された圧倒的な愛に基づく計画であり、同時に主の圧倒的な栄光が現されるためのものです。
言い換えれば、主がご自身の愛する者のためにどれほど驚くべき御業をなされるのか、その絶大な栄光を全地に、そして「天上にあるもろもろの支配や権威(エペソ3:10)」(サタン)に、また「この世ばかりでなく来るべき世々(エペソ1:21,2:7)」に至るまで、見せつけるために用意された計画なのです。
そのような壮大な計画の前に、その計画がどこから来てどこへ行くのか、つまりはその計画が用意された理由や、その計画がどのような結果になるのか、あまりに主の思いが高すぎて私達には到底理解することができません。
ですから、主の大いなる御業が現されるときその直前には、私達はその目の前に迫る状況に死を予感するほど、私達の力ではどうにもできない現実が迫って来ることがあります。
それはこれから現される主の御業が圧倒的だからこそ、あまりに非力で何もできない私達には、迫る現実がいかに私達に何もできないかしか理解できないのです。
ここでイスラエルが主に叫んだように主への不信に、心を奪われてはなりません。
そこで出て来る言葉は主をのろう言葉でしかなく、その言葉には何一つ希望が存在しないからです。
【出エジプト14:10-12】
パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた。そしてイスラエルの人々は主にむかって叫び、
かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。
わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。
そのときこそ、心静め主の御声に耳を傾けましょう。現実を見る目を閉じ、信仰の目を開いて、神に用意された真の状況を見る必要があります。
主は何をご用意され、私達がどのようにあることを、何をすることを望んでおられるのか。
これまで私達にあらゆる良きことをしてくださった主に、この時こそ深い信頼を寄せ、心静め主に祈り尋ねるのです。
そう、そのとき今日の御言葉のように、主は語られるでしょう。
「かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。(出エジプト14:13)」
あなたはそこに、主の救いを見るのです。それは永久に、二度とそこに死を見ることがないために、主ご自身が戦われるのを見るでしょう。
主は永遠にあなたの勝利者です。
あなたが無力なときこそ、あなたの全てを主にゆだねましょう。
主がその全てに勝利を現してくださいますから。
モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。
主が私達のために用意している計画は、私達の思考では到底及ばないような驚くべきものばかりです。
それは私達のために主が用意された圧倒的な愛に基づく計画であり、同時に主の圧倒的な栄光が現されるためのものです。
言い換えれば、主がご自身の愛する者のためにどれほど驚くべき御業をなされるのか、その絶大な栄光を全地に、そして「天上にあるもろもろの支配や権威(エペソ3:10)」(サタン)に、また「この世ばかりでなく来るべき世々(エペソ1:21,2:7)」に至るまで、見せつけるために用意された計画なのです。
そのような壮大な計画の前に、その計画がどこから来てどこへ行くのか、つまりはその計画が用意された理由や、その計画がどのような結果になるのか、あまりに主の思いが高すぎて私達には到底理解することができません。
ですから、主の大いなる御業が現されるときその直前には、私達はその目の前に迫る状況に死を予感するほど、私達の力ではどうにもできない現実が迫って来ることがあります。
それはこれから現される主の御業が圧倒的だからこそ、あまりに非力で何もできない私達には、迫る現実がいかに私達に何もできないかしか理解できないのです。
ここでイスラエルが主に叫んだように主への不信に、心を奪われてはなりません。
そこで出て来る言葉は主をのろう言葉でしかなく、その言葉には何一つ希望が存在しないからです。
【出エジプト14:10-12】
パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた。そしてイスラエルの人々は主にむかって叫び、
かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。
わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。
そのときこそ、心静め主の御声に耳を傾けましょう。現実を見る目を閉じ、信仰の目を開いて、神に用意された真の状況を見る必要があります。
主は何をご用意され、私達がどのようにあることを、何をすることを望んでおられるのか。
これまで私達にあらゆる良きことをしてくださった主に、この時こそ深い信頼を寄せ、心静め主に祈り尋ねるのです。
そう、そのとき今日の御言葉のように、主は語られるでしょう。
「かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。(出エジプト14:13)」
あなたはそこに、主の救いを見るのです。それは永久に、二度とそこに死を見ることがないために、主ご自身が戦われるのを見るでしょう。
主は永遠にあなたの勝利者です。
あなたが無力なときこそ、あなたの全てを主にゆだねましょう。
主がその全てに勝利を現してくださいますから。
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