永遠の安息を得る

聖書箇所: ヘブル11:5-11

クリスチャンには決して苦しみがないわけではありません。
むしろクリスチャンであるからこそ苦しむこともあるのです。
そんな時、ときとして人は苦しみの中、神の沈黙を感じることがあります。
なぜこの苦しみの中に自分は居るのか。神はなぜ沈黙されているのか。
しかしそのような時だからこそ、信仰者として知ることがある。得るべきことがあるのです。
人は生まれながらには神を恐れることを知りません。また、心から神を渇き求めるということを知りません。
でも実はそんな時こそ、神はあなたの近くにいるのです。
そう、この苦しみこそ神への近道とも言える。
日が昇るその直前こそ、一日で最も暗い時間であるように、しかしそこには明けの明星であり、義の太陽として昇られる主が間近に居られるのです。
人はこの苦しみの訓練の中で、朽ちることのない信仰を精錬されます。
人の力が尽きる時こそ、神の力が、栄光が現れる時。そして、その栄光を見る時私達は、私達の何ものにもよらず、ただ主の一方的な愛と恵みによって生かされているという大いなる事実を知り、この方にのみ心から信頼して寄り頼むという信仰を得るのです。
キリストの計り知ることのできないほどの壮大で絶大な愛を、私達が本当に知り受け取る時、私達は本当に神を知り、神との永遠の交わりを知るのです。
主は私達を神の中にあるこの永遠の交わりの中に入らせるために訓練をされていたのです。
そしてこれこそが天国にある永遠の平安、神のみが与えることのできる安息なのです。
主はこの交わりの中に留まり続けるのであれば、いかなる時も神の国はそこにあり、だからこそそこに現れた神の国が、あらゆる困難を、問題を、この地を、この世を飲み込み、神はこのような方法でこの地を勝ち取られるのです。
今回は神が与える訓練の意味として、神の真の願いである、神との永遠の交わりの中に私達を入らしめようという、永遠の安息を得るための神の訓練ということに関して、今悩みの中にある兄弟姉妹への真の慰めとして語られる神の言葉に、感謝して耳を傾けていきたいと思います。

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