永遠の交わりを保つ

聖書箇所: 1ヨハネ1:3,4

神はそのご自身との永遠の交わりを、ご自身の命によって買い取られた者達、つまり教会(神の宮)の中に永遠に共有するという、人智をはるかに超えた恵みを与えてくださいました。
永遠にささげ続けられる礼拝の中へ、永遠の礼拝者としての人生の中へ。
もしも私達が、この神とのそして兄弟姉妹との交わりを共有することがなければ、目に見えない神を見続け、人のはるかに理解を超えた神の御心を真剣に求め、またその召しを担い続けて歩むことはできないでしょう。
絶えることのない互いのとりなしの祈り、分かち合われる信仰の証し、受け継がれる信仰、導かれる信仰者としての歩み方。
もしも私達が一人のみで立とうとするなら、どれほど強く優れ賢い信仰者であったとしても、その歩みの中に道を踏み外し、罪の誘惑に妥協をゆるし、偽りに心奪われ続けても知ることもなく、やがては何もできないままその生涯を終えることとなるでしょう。
孤独では何もできない。
なぜなら、神はご自身の教会の中に、この永遠の交わりを据えたからなのです。
神はこの永遠の教会という共同体をさまざまな時代のさまざま場所に顕現させ、この永遠の命の交わりが全地を覆い、命にあって全地が治められることを願われました。
である以上、神はこの永遠から永遠に存在する共同体である教会が、罪により汚され、あるいはその罪のパン種に喩えられる勢いをもって罪に満たされてしまうことを、どれほど悲しまれ、またどれほど忌み嫌われることでしょうか。
この交わりは、世との姦淫により著しく破壊されます。
サタンの支配下である世に、サタンの性質(罪の性質・肉)をもって生きることを、世は日常の常識的生き方として認識しますが、神の教会が同様に世に戻る生き方を望むなら、その行き着く先は自らを大淫婦との姦淫に導き、キリストの花嫁を大淫婦の姿へと変容させるものとなるのです。
主は人の目に隠れたダビデの姦淫をも見つめ、その罪を鋭く指摘されました。
今私達はこの神から与えられたかけがえのない永遠の交わりに生きるために、ひとかけらをも妥協することなく、神の光の中に照らし出される自らの罪を悔い改めようではありませんか。
やがて本当に神と顔と顔とを合わせて永遠に交わり続けるその日のために。

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