偽りとの訣別

聖書箇所: エゼキエル21:6,7

主はご自身と心を一つとする者を見て、ご自身の御力を現し、御業を成し遂げます。
主イエスがこの地を歩まれた時、まさにそのようにご自身の思いを退け、父なる神の望まれることを行い、そして語られ、決してご自身から成したことは何一つありませんでした。
だからこそ、主イエスのこの地での歩みは神の栄光の現れに満ちていたのです。
これがまさに人の子の歩み、主が示された私達のこの地に於ける、神の似姿に造られた人としての歩むべき姿なのです。
逆に言うのであればここに、自らの思いに従うことを私達の歩みとするところに、偽りは始まります。
それははるかエデンの園でサタンに入れられた偽りであり、自らの中にある偽りによって、私達はその思いの内に悪魔の欲望通りを行い、神に敵対し、真理を退け、偽りに立つ者となるのです。
私達の内には神を喜ばすことはなく、真理もなく、神に敵対する思いしか存在しないのです。
これは私達を決して喜ばす言葉ではありません。
そしてこの世の賢さ、麗しさ、良さを何一つ持っていません。
しかし、この世にある自らを喜ばせ自らのために良いと思われる全てのものは、これを手に取り、自らのものしようとする時、それらは私達をサタンの奴隷とするためのものとなることを聖書はっきりと語っているのです。
その偽りに心奪われる時、真理からそして神から私達の心は離れ、心はサタンの虜とされているのです。
しかし、真理は語っています。主はそのような私達をキリストの十字架の勝利の内に、サタンの支配から移して、キリストの支配の下に置き、さらには主の統治の到来、勝利の凱旋の内に私達を加え、サタンの支配を打ち砕かれたのだと。
私達はすでに、主を頭とするキリストの御体として、全地をまた万物を主と共に統べ治める者とされていたのだと。
まさにこの統治の内に神の御国は私達の内に来たり、またそこに永遠の礼拝が到来する神の教会がその中心に存在するのです。
まさに主は私達をそのような者として、この地に置いてくださいました。
だからこそ、私達はいつまでもサタンの偽りを私達の内に残しておいてはならないのです。
サタンに騙されてはならないのです。
さあ、私達は罪に生きるサタンの偽りから遠く離れ去り、神に近づき神のものとして生きる、真のクリスチャン(キリストのもの)としての歩みを、共に歩んでいこうではありませんか。

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