信仰を願い求める

聖書箇所: マルコ9:14ー29

主は今の時代をご覧になって「ああ、なんという不信仰な時代であろう【マルコ9:19】」と語られます。
何と多くの人々が、それはクリスチャンでさえ、偽りの内に神への信仰を覆われてしまっていることでしょう。
神は不信仰の中では御業を行うことができません。
だからこそ、主は決してこのことに妥協することなく、私達の信仰を求められるのです。
それは愛に基づく主への信頼(信仰)。
私達はこの信仰を私達の努力によって得たものではありません。主の一方的な私達への愛によって、十字架にご自身をささげ、全てを与えてくださった、その始めの愛の中に、すでに種としてそれを与えてくださっています。
まさに私達が最初に持ったこのからし種ほどの信仰がやがて大きく成長していく、だから私達は安心してこの愛に信頼すれば良いのです。
そしてこの神への信頼のゆえに、私達は全てのことを神に大胆に祈り求めることができます。
まさに私達が生きる全てのことを、「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。【詩篇81:10】」と主は言われる。
主はこの空の器なる私達をご自身で満ちみち溢れさせたい神なのです。
そして私達はこの信仰によって、祈り望んでいることを、すでに得たこととして確信することができるのです。全ての願いが主の御手の内に受け取られたことを。
その時私達は主を喜び、主に賛美をささげ、まだ受け取っていないことをすでに受けたこととして感謝することができるのです。
そのような信仰を主は大変喜ばれます。
それは主の愛に生きる者にのみできることだから、主はそこに大いなる御業をなされ、ご自身の大いなる栄光を現されます。
主はこうしてご自身の器(教会)を通して、御業を行うことを定めました。
それは私達こそが神の永遠の住まい、主の宮、神の永遠の都であるからです。
主はそこに満ちみち溢れ、その都の王座から全地を統べ治められます。
これは奥義であり、同時に今の私達教会の本来のこの地に於ける役割です。
神の計画はすごく大きなものです。だからそれだけ私達にも大きな信仰が必要となります。
でも恐れないでください。
主はこの信仰は主から与えられた賜物であると言われ、まさに私達の内に住まう聖霊は主イエスが父に祈る時のように「『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊【ガラテヤ4:6】」なのです。何と幸いなことでしょう。主が与えてくださっているのです。
そして、さらに主は「不信仰なわたしを、お助けください【マルコ9:24】」と祈ることを私達にゆるしてくださっています。
だから私達は主にこの信仰自体を大胆に求めることができるのです。
今回は信仰とは何かについて共に分かち合いながら、この信仰を主に願い求める時を持ちたいと思います。


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